ある工務店継承者物語
ぼんやりと育ち、将来への意欲もさほどない僕だったから、

おそらく「継げ」といわれたら素直にそうしていただろう。

しかし、父はそうは言わなかった。

僕は考えぬいた末に、答えが出ないのなら進学しよう、と決めた。

そして無事、とある学校の建築学科に合格することができた。


誰もがそうであるように、(そうでない人も居るだろうが)大学時代は

学校よりも熱心に、遊びやアルバイトに明け暮れた。

知り合う人の数に比例して、自分の世界がぐんぐんと広がっていく。

汗水流して重いものを運んだり、危険な作業をしなくても、

お金をもらえる仕事があることも知った。

そして僕は学校を卒業しても、家に帰らなかった。

自分のやりたいこと、それはまだ見つかっていない。

このままでは父に会えない。

ぼんやりとした弱い意志を、鋭く見透かされてしまうだろう。


当時も今と変わらず、就職状況はシビアだった。

結局建築分野を諦め、営業として、当時勢いを伸ばしていた某ハウスメーカーに入社した。

「営業」という仕事のハードさはある程度覚悟はしていたものの、

実際のところ、想像以上の激務だった。

とにかく数字が全てであり、成績が低ければ扱いはひどいものだ。

営業マンは人間に非ず。僕らは毎朝数字に換算されて叱咤を受けた。

まさに、「売れれば天国、売れなければ地獄」の世界である。

自分の売っている「家」は、父親が作っている「家」と同じもの、

という感覚は消えうせた。

僕の商売道具は書類と印鑑とボールペン。

相手が「人」という感覚もなかった。

「この紙切れにサインさせる」ことだけを考えるよう教育された。

そんな毎日を過ごすうち、金額の高さにも、人との駆け引きにも、麻痺してきた。

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若松さん 無断引用失礼しました。


一般 | No.82 管理人   2010/06/22(Tue) 08:48:36