ある工務店継承者物語
ぼんやりと育ち、将来への意欲もさほどない僕だったから、

おそらく「継げ」といわれたら素直にそうしていただろう。

しかし、父はそうは言わなかった。

僕は考えぬいた末に、答えが出ないのなら進学しよう、と決めた。

そして無事、とある学校の建築学科に合格することができた。


誰もがそうであるように、(そうでない人も居るだろうが)大学時代は

学校よりも熱心に、遊びやアルバイトに明け暮れた。

知り合う人の数に比例して、自分の世界がぐんぐんと広がっていく。

汗水流して重いものを運んだり、危険な作業をしなくても、

お金をもらえる仕事があることも知った。

そして僕は学校を卒業しても、家に帰らなかった。

自分のやりたいこと、それはまだ見つかっていない。

このままでは父に会えない。

ぼんやりとした弱い意志を、鋭く見透かされてしまうだろう。


当時も今と変わらず、就職状況はシビアだった。

結局建築分野を諦め、営業として、当時勢いを伸ばしていた某ハウスメーカーに入社した。

「営業」という仕事のハードさはある程度覚悟はしていたものの、

実際のところ、想像以上の激務だった。

とにかく数字が全てであり、成績が低ければ扱いはひどいものだ。

営業マンは人間に非ず。僕らは毎朝数字に換算されて叱咤を受けた。

まさに、「売れれば天国、売れなければ地獄」の世界である。

自分の売っている「家」は、父親が作っている「家」と同じもの、

という感覚は消えうせた。

僕の商売道具は書類と印鑑とボールペン。

相手が「人」という感覚もなかった。

「この紙切れにサインさせる」ことだけを考えるよう教育された。

そんな毎日を過ごすうち、金額の高さにも、人との駆け引きにも、麻痺してきた。

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若松さん 無断引用失礼しました。


一般  2010/06/22(Tue) 08:48:36
実年ソフトボール出場

画像が暗いのは携帯のカメラの撮影ですのでご勘弁ください。
画像のようなつらい苦しい試合でした。

読売双子山というチームの監督に乞われて
全日本実年ソフトボール大会群馬県予選に出場しました。

この写真のグランドを高校球児のように駆け回っているのは
全員50歳以上です。




前橋代表(?)の当方のチームは
エースの乱調で満塁ホームランを4発も被弾してメタメタでした。

背番号55を託され、3番ライトで出場の記者は
3打数2安打3打点とそれなりの結果は残したのですが
エースの炎上は手を尽くせない猛火状態で、
25対8 という歴史的な大敗でした。
勝者のわたらせチームさんの全国大会出場を祈ります。





余計なこと  2010/06/13(Sun) 14:32:49
地の家復興会議
NPO法人家づくり援護会での研究発表会での小山理事長の基調講演の様子

  会のホームページ http://www.iengo.ne.jp/



大手ハウスメーカーによって、造り手の都合になってしまっている家づくりを
地域で頑張っている工務店主によって、『住まい手本位の家づくり』を復興させようという決意表明。

6月15日に地の家復興会議

  For to sumite

というホームページがアップされました。

   http://www.jinoie-net.com/

2日間にわたった研究発表会では「お客様とのミスコミュニケーションを無くす。」
という課題で、弊社自慢の打ち合わせ掲示板システムを紹介しました。
全国から集まった意識の高い工務店主の間から、高い評価をいただきました。


一般  2010/06/10(Thu) 19:51:34