温暖地開放型住宅視察研修会、という大義名分のもと
リフレッシュ休暇をいただきました。
のどかな風景をご覧下さい。
『やっぱり平和がいい』と思うのは
特攻平和会館を見た後だから、ひとしおです。
特攻平和会館(鹿児島県知覧町)
司馬遼太郎が好きで、師が歩いたであろう地域を巡っている。
平安時代の空海から戦国時代、幕末、日露戦争まで
日本の歴史の激動期に、『男の典型』と言える人物を探し出して
主人公としている。
少し時代がずれて、特攻の若者達を描く事ができたら
誰を主人公にしたのだろうかなどと考えながら、特攻平和会館に展示してある
たくさんの遺書をながめていた。
日本の将来を担う優秀な学生が多かったのだろうか達筆な物が多い。
なかでも、目に焼きついてしまったのは
お母さん、私は親不孝者です。
とだけ書いてあった物でした。
遠くない敗戦を思い、無念さで書いたのか、反戦主義者だったのか、
知るすべもありません。
主題の温暖地開放型住宅の歴史に移ります。(島津家別邸)
寒冷地の会津で見た武家屋敷とあまり変わった造りはしてありません。
昔の人たちは、衛生面も含め、寒暖に関しては特に『我慢』で対応していたものか。
築400年の木造建築 (国宝 青井阿蘇神社)
国宝の指定を受けるも、10年くらいで葺き替えたいかやぶき屋根が、材料と職人不足から 20年も経ってしまっている。日本の中央集権制は地方の文化にまでお金が回らないようだ。
立ち寄った桜島の石碑