石田堤史跡公園と忍城址
埼玉県行田市堤根というところに新築させていただいたお客様から 久しぶりにご連絡をいただいて出向いてまいりました。
バブル崩壊後の長引く平成不況の平成9年に 拝み倒したような形で着工させていただいた特別な思い入れのある物件でした。今ではルートインホテルが建っている国道沿いで事業をなさっていた社長さんの奥様の実家での建築でした。この年の唯一の地鎮祭ができることになり、記者の30代最後の年の瀬をいくらか穏やかな気持ちで過ごせるようになったのを鮮明に覚えております。


当時工事が始まっていた【石田堤史跡公園】が完成していました。





公園の脇を通る新幹線の高架の下にやぐらが造ってあり、その下に入ると説明のアナウンスが流れます。(これは当時からありました)
豊臣秀吉の天下統一の最後の仕上げである関東平定で 小田原城の北条氏を制圧するため、周りの支城を一つ一つ降らせていたが、現在 行田市役所のある忍城の成田氏だけは かたくなに抵抗を続け、これに手を焼いた石田三成が堤を築いて、白を水没させようと 金に物を言わせて、近隣の農民たちを集めて14Kmもの長さの堤をわずか5日で築造させたらしい。
 結果的に、この石田堤は攻略には何の役にも立たず、北条氏の投降によって、成田氏も降る事になる。この経緯は【のぼうの城】という映画で ご存知の方も多いと思う。


ということで「水に浮く城 忍城跡」も立ち寄って参りました。









きれいに整備されていて、当時の面影を感じる物は見当たりませんでした。
そこで、警備の人に尋ねたところ、土塁の一部と石垣の石が数個ありますよ。とのこと





石垣の石積みの一部でも見られたらよかったと思う反面、
そんな物に目も耳も傾けられないような破壊と復興が繰り返された近代を過ごしてきたのかも知れない。




一般 | No.210   2020/10/31(Sat) 11:15:26