「一郎はだだ者だから」
地元岩手県の年老いた政治道楽の長者達からはこう言われているらしい。
もちろん、今お騒がせの小沢一郎の事である。
頑固者とか分からず屋とか言う意味だろうと思う。
師匠と仰ぐ田中角栄はコンピューター付ブルドーザーと言われていた。氏の説く日本列島改造論で東京に集中した富を地方に分散しようと考え、道路や鉄道、空港等の交通網の整備に力を入れた。
(結果として、政治がらみの薄汚い利権を産んだりした。JAL破綻の遠因もここか?)
もし、角栄氏が出なければ、富は一部の富裕層に集中し、貧しい側はその日の糧にも困るといった風な現在の中国のような偏った発展をしてしまっていたのではないかと考えるのは少し無理だろうか。
(日本は最もうまく行った社会主義国という言われ方もする)
小沢一郎が、優秀だけれども金が無いという意欲ある者を国会に登らせるために、必要十分な選挙資金を手当てしているのだと思いたい。彼のだだ者ぶりが、国民全体の幸せを思っての事であるとしたら、だだを通せと応援したくなる。この視点側から考えると今度は検察が駄々者と言う事になる。
見聞きしている限りでは
だだ者(小沢一郎) VS 駄々者(検察)+ 思い上り者(マスコミ)
と言う構図に感じられる。
検察は行政機関である以上、内閣の法務大臣の手下のはずである。
最高の上司は総理大臣ということになる。
政権与党が国民の幸せのために
予算を早期に通して景気回復に持ち込みたいのに、足枷を強いているようだ。
日本は三権分立(司法・行政・立法)だと思っていたが、
やはり、最近の最高の権力は検察・マスコミという三権の枠外のところにあるらしい。
マスコミは検察への印象を損なうと、極端な取材規制を受ける為、検察の方向付けをしたような記事を書く。またその記事は『人の不幸は蜜の味』と考える大多数の読者に歓迎される。
日経ビジネスのアンケートでは新聞一般紙よりも中立よりであるようだ。
検察の正義と国民の幸福とを天秤に掛けられてはたまらない。
土建屋の仲間ではあるが、角栄氏や小沢一郎が好きなわけではないが、
強いリーダーシップを持つ者が居ない組織は、所詮は凡庸の集まりで仕事が出来るはずがない。
小沢一郎の居なくなった民主党にも、非力な口先だけになってしまった自民党にも魅力を感じない、みんなの党を立ち上げた渡辺喜美も、世襲議員だけに、清濁併せ呑むくそ度胸を持ち合わせてはいないようだ。
夏の参議院選挙の頃には、今世間をにぎやかしている事が決着しているはずだ。
とは言え、国民の政治への関心も期待も薄く、低い投票率が危ぶまれる。
中国のことわざに「燕や雀には鳳や大鷲の志はわかるまい。」というのがある。
最後の大物政治家かもしれない小沢一郎が、この頃に拘置所の塀の向こう側でこんな事を考えていると言う事のないように願いたい。