国がコロナの自粛というブレーキから、アクセルで経済を動かす政策として Go to トラベル なる物を始めた。それでも感染者の多い東京都及び都民は除外され、都発着の旅行については恩恵を受けられないという不公平な状況も9月末で解消されるらしい。
記者は東京解禁になる前に、念願だった藤沢周平記念館を訪れた。
江戸時代の深川周辺の庶民の暮らしを著した作品も多く、
『橋ものがたり』の世界 というイベントを開催中だった。
橋ものがたりという作品は 橋の一つ一つに人情噺を配した短編集で、深川界隈の当時の暮らしの景色が浮かんでくる、時にはタイムスリップしてしまっているような描写の優れた傑作だとおもう。
もう一つ、出身地の山形鶴岡市に関連した作品も興味をひくものが多い。
下級武士の貧困にあえぐ姿や上杉家の政変、また様々な秘剣の使い手の活躍も読みごたえのある作品が多数ある。
しかし、記者は 上杉謙信の上杉家の末裔が、なぜ栄華や繁栄とはかけ離れた江戸時代を過ごさねばならなかったのかに強い興味をもっています。
豊臣政権の末期の政務にあたった五大老は
徳川家康・毛利輝元・上杉景勝・前田利家・宇喜多秀家という事になるが、
関ヶ原での立ち位置でその家の存亡が決してしまった。
東軍総大将の徳川家康が天下人になったのは当然の成り行きだが、
宇喜多家は西軍の石田三成方について、敗走の末に滅亡。
毛利家は石田三成に担がれて西軍大将にまつられたが、敵前逃亡して長州に帰ってしまった。
前田家はすでに他界していた利家の夫人まつが家康に従うように後継者の利長を説いたらしい。
上杉家は 家老の直江兼続が石田三成と謀って、徳川を挟み撃ちにして豊臣恩顧の正道を全うしようとしたものらしい。この遠距離の連絡手段が伊賀や甲賀の忍者たちだったらしいという事も非常に興味深い。 藤沢周平著【蜜謀】より
悲運にも わずか半日で決してしまった天下分け目の戦いに参加することもできなかった。
また、この戦いが長引けば、秀吉の軍師だった黒田官兵衛が九州全土を切り取って、天下に号令したのではという もし も非常に痛快な仮説だと思う。
花手水(はなちょうず)と言って、コロナウイルス感染防止のため手水を控えさせている。
上杉景勝と直江兼続像
上杉謙信像
歴史に もし はないものだと思うが、石田三成の西軍が勝利していたならば、
勝利した東軍に与した前田家の加賀百万石と言われた金沢市の繁栄が 山形の米沢に起こっていたのかもしれない。
そんな思いを巡らせながら、上杉神社、上杉伯爵邸を訪れた。
その後、米沢市街も散策したが、時代の傑物である上杉謙信公の末裔が移封された町としては少し物寂しさを感じてしまった。
新型肺炎コロナウイルスは感染者数は横ばいながら、重傷者は少なく医療機関の逼迫度もさほどではないようだ。10月から入出国も制限付きで解禁になり、一気にオリンピック開催への気運がたかまりつつるあるのだろうか。