総選挙への遠眼鏡
民主党代表の小沢一郎のイメージはあまり良い物でない場合が多い。

壊し屋、又は剛腕などが、代表的だろうか。ある意味では男の典型ではないかと思う部分もある。議論ばかりしていて何も出来ない世襲議員や、議論さえもしていない青二才議員に比べれば、ちょっと注目している価値があるような気がする。とは言え、彼も立派な二世議員である、父が小沢佐衛喜氏とか言う画数の多い名で選挙のたびに苦労したので、息子には選挙で戦いやすい名前にしたと言うのは有名な話。

来るべき総選挙が、日本にとって大きな意味を持つことになるのだろう。また、死に場所を探して彷徨しているかのような氏にとっても、最後の決戦になるかもしれない。
江戸幕府を倒した後に、子分どもの血気の矛先として征韓論をぶち上げ、論に破れ野に下り、最後は子分に進退を預け、西南の役で非業の死を遂げるに至る西郷隆盛の居場所の無さがダブって見えると言うのは、言い過ぎかもしれない。

ここでは、少し斜めから、日本の政治や小沢一郎を延べて行きたい。
小沢一郎の政治活動の一貫してブレの無い主張は、官僚から主導権を取り上げて、政治主導にしたいと言う事なのかと思う。さらに斜めからの憶測で、官僚主導型は薩摩と長州が
幕末の大舞台で活躍をしたところに起因しているのではないかと思う。明治初期の政治の
要職には、薩摩、長州出身が多勢を占めた。当時の薩摩人の多くの特長は、細かい事は部下に任せっきりで、決断だけしっかりとする。そして責任も取る。さらには、国家に迷惑をかければいつでも切腹する。という覚悟があったようだ。
 
この覚悟はどこから来ているのかを剣法修行ではないかと断じたい。江戸幕府末期、京都の治安を維持する為と言う目的で、多摩の侍のなり損ねのような連中が、京都の町を恐怖のどん底に落とし込んだ。いわゆる新鮮組である。近藤勇、土方歳三、沖田総司らは、剣の腕前はすごかったらしいという事になっているが、むしろ、度胸と覚悟が座っていたのではないかと思う。

なぜならば、彼らの剣法は天然理心流という近藤勇の養父が開祖の多摩の田舎道場のもので、木刀で稽古をしていた。それに比べ、討幕派の志士達の間では、北辰一刀流という、当世はやりの竹刀で小手を打つような小技の剣法を見につけていたものが多いようだ。いきおい、木刀の稽古と竹刀の稽古では迫力が違う。新撰組が京の町を肩で風を切って歩いていたのもうなづける。

だが、この殺戮集団が一目をおいて恐れていた剣法が、薩摩の示現流らしい。型も流儀も無く、ただ出会いがしらに奇声とともに袈裟切りにたたき殴るように剣を振り下ろす。保身も無くただ相手を倒すと言う流儀らしい。示現流を学んだ薩摩のヤンチャどもが、ちょんまげを切って、したり顔で洋装し、ひげを蓄え、ふんぞり返ってしまったのが、今日の日本の官僚任せの政治の源流ではないかと考えると、誠に面白い。

まして、それを倒すのに、幕末に新撰組の後援者として、完膚なきまでにたたかれた会津藩と同じ東北の岩手出身の田舎者が、生涯を賭けているというのは、拍手喝采なことだと思う。
旧来の官僚自民党もたれあい政治を壊す大任を果たしたならば、総理大臣などという端役に付けて、恥をかかせないでもらいたいと思うのはひいきの引き倒しだろうか。
一般 | No.53 管理人   2008/10/20(Mon) 17:59:51